まど・みちおさんの詩です。
子どもの頃、ビスケットがどんどん増えて好きなだけ食べられたらいいのに!
という妄想(空想かな!?)は、確かにしました。
きっと誰もがそんなこと考えたのではないでしょうか?
子どもの時、確かにそんなふうに思ったんだけど、それってもう、
大人になってすっかり忘れてしまって・・・
それなのにまどさんはどうして、子どもの頃の「あの気持ち」を、
大人になってしまっても
こんなふうに鮮烈に、だけどやさしい言葉で紡ぐことが出来るのかなぁ、
と、いろんな詩に出会うたびにふしぎに思っていました。
《ぞうさん》 まど・みちお 子どもの歌102曲集の巻頭には、
まどさんが「はじめに」という形で書かれている文章が、現代においても
とても考えさせられる内容のものなので、紹介させていただきます。
これは1963年という時代の「ことば」です。
以下、一部抜粋します。
ツマラヌ童謡は、今でもツマラナクナイ童謡を上回って
《ぞうさん》 まど・みちお 子どもの歌102曲集「はじめに」より
出回ってはいないでしょうか。
ここでいう童謡とは曲でなくて歌詞の方のことですが、
ツマラヌ童謡とはその歌詞の精神の高度の燃焼による所産とはいいがたい作、つまり詩ではない童謡のことです。
まどさんの詩は、”精神の高度の燃焼による所産”であるからこそ
やさしい言葉で書かれているのに、とても響いてくるものがあるのだ
と思いました。
子どものための音楽、そこにのせるための言葉なのですが、
幼稚でもなく、子供だましでもない。
本気の大人が、精神の高度の燃焼により紡いだ言葉であるということが
多くの人に作品が普遍的に愛される理由なのだなと思いました。
同時に、まどさんが童謡をたくさん作られていた時代
同時代を生きた作曲家の先生方も、同じように
「童謡と言っても、それは子供だましではない、幼稚な平易なものは作らない」
というお気持ちを表明され、作品作りをされていました。
作り手の、そのような真摯な姿勢を知ることが出来たことで、
これからどのような表現を目指し、歌っていったらよいのだろうか、
とても考えさせられます。背筋が伸びる思いがします。
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